Attack me. With everything you have.
『キル・ビル vol. 1』
すこし早めのお盆休みで上海にいってきた。
初中国、初子連れ海外ということで、旅行の前に上海について調べてみると、子攫いに関する注意喚起の記事が出てきた。ブルーライトを顔面に浴びながらねむる娘の指さきをそっと握った。その夜はなかなかねむれなかった。
わたしは旅行なんかの直前になると急激におっくうになってしまう質なうえ、上海で起こった各種犯罪に関するニュースをむさぼり読んでしまったため、「あぁ、いやだいやだ」という思いをぬぐい去れず当日を迎えた。ここでの「いや」には嫌とこわいがふくまれていたので、上海に蔓延る悪を思いつく限り並べたて、足りないぶんは注意喚起記事などで補完して、百万通りのこわいの対処方法を妄想して、気持ち的に「こわい」を完全防備した。そう、わたしはザ・ブライド、二度と娘は渡さない、みたいな。
そんなこんなでまったく無事じゃないお気持ちで出発の日をむかえ、午前7時なのにむんとした京都の熱気に出ばなをくじかれながら関空に向かった。
格安航空と夫婦の危機
往復は中国の航空会社である上海吉祥航空を利用した。予約した時には「搭乗から中国に入国したも同然、値段も気分もおトクやで〜」という気持ちでチケットを手配したのに、チェックインの列にならぶ人々がマジで中国人しかいなくて、すん、という気持ちになった。
ちょっとでも元気をだそうと「吉祥航空 事故 でググったけど事故の事例全く出てこんかった〜!安心やな、これは。」と夫に向かって話しかけると、皮肉屋の夫は「じゃあ今回が最初の一回になるかもな、たははっ」などとのたまった。交際以来、ラブみ募りまくりなキュートな夫に対し、このときばかりは怒りを覚えたけれど、普通に恐怖が勝ってしまって、ななめ45度下くらいをみながら若干涙目で「そ、そうやなっ」と言ってしまった。両親の剣呑なやりとりに不安を覚えたのか、動き回ってた娘もシュン、とおとなしくちぢこまった。
後ろに並んでいた中国人たちが、私たちの間に流れる異様な雰囲気をみて何か言っていた。別れ話でもしていると思われたのかもしれない。
夫婦の危機を迎えつつもなんとか手荷物検査とイミグレを終えて、さあ、乗るぞ、後は野となれ山となれ!みたいに気持ちを立て直したものの、なんしかのトラブルで出発が1時間半遅れることに。
仕方ないので搭乗口近くのコンビニで飲み物とアンパンマンチョコを購入した。
チョコ片手にニコニコわらう娘と一緒にスノウで自撮りして時間をやり過ごし、ようやく搭乗した。
ぷりーず・くりーん・あっぷ!
一度切り替えたわたしは強い。座席のクッションに付着した謎の髪の毛に眉をひそめる夫を横目に、紫の布を雑に縫い付けた座席シートや無表情の添乗員に「中国」を感じて興奮していた。
さらにGoogle翻訳に「中国語」のパッケージをダウンロードして添乗員から話しかけられる準備も万端!
旅行の前日、前々日は寝付けなかったこともあり、すこし気が抜けたわたしは離陸と同時にうとうとと眠った。
突然肩をたたかれまどろみから現実に引き戻されたのは、それから1時間後くらいだろうか。
しかめ面の添乗員がわたしに向かって箱を突きつけてきた。
どうやら機内食らしい。
…これは困った。格安でチケットを買ったこともあり、大したサービスも期待していなかったわたしたちは搭乗前にお昼を済ませていたのだ。
満腹の胃袋と飛行機の揺れと眠気がまざり合い、わたしたち夫婦の身体が機内食が詰まった箱を拒否するのがわかる。
さらに娘は大爆睡で起きる気配がない。
自国の飛行機に乗った数少ない外国人は添乗員にとっても印象深いだろう。しかもさまざまな因縁のある日本人ときたら。
ここで私たちが機内食を食べなければ、日中関係にヒビが入りかねない…。
出された食べ物を食べられない罪悪感と申し訳なさに壮大な妄想が加わっていたたまれない気持ちになったが、舟をこぐ娘とほかほかご飯という最低最悪な組み合わせを思うとほかほかご飯の早急な撤収が望まれた。
そこでGoogle翻訳で「すみませんが、お腹いっぱいで…片付けてください。」の日本語→中国語の翻訳を試みる。
…
「翻訳できません。ネットワーク接続を確認して、もう一度お試しください。」
表示された無情な文字列を前に「こ、これがグレートファイアーウォール…オフラインさえGoogle拒否か…」と中国の技術革新に瞠目した。
しかし、冷静に考えてみると、オフラインのアプリの利用を制限なんてできないだろうし、これは、Googleの不備なのかも…などと首を傾げつつオフライン翻訳のタブを開く。すると…
まずは自分を疑うこと。つぎに日本は世界の中心ではない。これが人生の鉄則である。
落ち込んでいるところに片付けのため添乗員がやってきた。
「Hey, clear it up?(こういう感じのこと言っていた気がする)」
突如発された英語に不意をつかれた。驚いているうちに彼女はサッと後ろの席に行ってしまった。
しかし、英語が伝わる、という光明を見たわたしと夫は目を合わせ、打ち合わせを開始した。
「トラッシュイットでええんちゃうか?」
「なんかこう、トラッシュはまずくない?」
このように冴えわたったやり取りを数回行った末、わたしたちは覚悟を決めた。
添乗員呼び出しボタンを押し、駆け寄ってきた添乗員に叫んだ。
「ぷ、ぷりーず、くりーんあっぷ!」
若干はなで笑われていた気がするがほとんど手がつけられていない機内食の箱は無事回収のはこびとなった。
この時、機内食が「ほかほか」を失っていたのはいうまでもない。
さまざまな困難を乗り越え、ようやく飛行機が着陸。
降りたった上海は京都と変わらぬなま暖かい湿気でわたしたちをつつみこんだ。
<to be cotinue…>