いつものようにTLをながめていたらこんなツイートが目に入った。
『FOLLOWERS』配信に先立ち
— Netflix Japan (@NetflixJP) 2020年2月21日
あたらしい女たちを集結させた特別映像を解禁✨
逆風の中でも、時代を切り拓いてきた女たちがいる。
自分の信念に真っ直ぐに生きる女たちのあたらしい物語が、2020年TOKYOではじまる。#FOLLOWERSNetflix #ネトフリ#あたらしい女たち pic.twitter.com/QpUhfwDske
女性の監督がメガホンをとり、日本から世界に"あたらしい"女性像が発信される。想像するだけでうれしくなった。
ぜったい見るぞ、とおもった。
だから見た。
最後まで、一気に。
そして思った。
舐めんなよ〜〜〜〜、マジで。
※※※以下ネタバレあり※※※
成功を目指し、轍の上を歩む女たち
このドラマの主人公は二人。中谷美紀演じる写真家の奈良リミと池田エライザ演じる売れない駆け出し女優の百田ナツメだ。
物語を通してみたときに、最初に違和感を感じたのが彼女たちの成功が育児or恋愛と仕事の両立、という既存の価値観に囚われている、という点、そして、その成功は彼女たち自身の努力に裏打ちされたものではなさそうだ、という点だ。
例えば、ナツメの場合。
彼女はリミが撮った写真をきっかけに注目を集め、泡沫の成功を収めるが、SNSのメッセージで発した失言をきっかけに炎上し、雲隠れ。紆余曲折の末、彼氏であるYouTuber、ヒラクとともに自主映画を撮影し女優として再起を図ろうとする。
一念発起の自主映画のシナリオはヒラクのもので監督も彼が務める。ナツメは映画の編集中に口を出しているものの、自身が編集を行う描写はない。
したがって、ドラマを見る限り、ナツメの成功は彼女の努力や技術によってではなく、美貌や若さゆえの勢いによって得たものであるように見える。
一方のリミも、自身の写真撮影技術は元カレである民生にすべて教わった、と作中で述べている。写真家としての仕事も撮影がメインで、レタッチなどの編集作業はスタッフが行い、彼女は指示を出すだけだ。
さらに民生がリミに惹かれたきっかけも彼女の写真自体でなく、彼女の立ち居振る舞い、そして「ルブタンは戦闘服」のようなセリフであり、これまた彼女の美貌、そして実家の太さが見え隠れするファッションであろうことが伺える。
ドラマを見る限り、わたしには、女の幸せ、の価値観を再構築するようなあたらしさを感じることができなかったし、技術不在で美貌と富(ギフト)、勢いだけで旧来的な「成功」へと突き進む彼女たちが自分で道を切り拓いているようには見えなかった。
『FOLLOWERS 』で描かれた「思考停止」の多様性
このドラマが提示する「あたらしい」のもう一つの要素が、登場人物にクィアが多い、ということなのだろう。
たしかに、ゲイ、レズ、ジェンダーレスなどが登場し、ジェンダー、セクシャリティが多様に描かれているように見えるが、問題は彼らがステレオタイプ通りに描かれている、ということだ。
リミのマネージャーのゆる子はオネエ口調でセンスも良く、共感力も高い、クィアアイもびっくりの王道ゲイとして描かれているし、ナツメの親友のサニーはナツメに対する恋心を抑えるようにいろんな女と寝まくる、性に奔放な同性愛者を地でいっている。
こうした描写は、クィアが内包する複雑さや割り切れなさを放棄し、大衆のイメージに従って形骸化した多様性を提示するに留まっており、「あたらしい」価値観を提示するには不十分に思える。
女しか出てこない育児に見え隠れする「呪い」
「女は産む機械」という言葉で政治家が炎上したのは記憶に新しいが、このドラマでは育児においてシス男性の存在が徹底的に排除され「タネ」として機械的に描かれる。
写真家としての成功を手にしたリミはあるきっかけで自身の妊娠・出産を決める。しかし、特定のパートナーがいない彼女は「子どもがほしい」という言葉で知り合いの男性を誘惑するがなかなかうまくいかない。
そんなときに元カレの民生と再会する。二人は惹かれ合うが、民生は外国での撮影の際マラリヤを患い不妊になっていた。民生はリミの妊娠の意向を知り、改めて不妊の検査と治療に臨むが、結果は振るわず身を引くことを選択する。
結局、リミはバイセクシャルの友人の力添えで自然妊娠に至った。
妊娠・出産に臨む際、その決意を彼女はこのような言葉で語る。
100%を仕事と子供に分けるんじゃなくて、仕事も子供も両方100%。分母を200%に増やす
そして、この宣言通り、産後の育児の全般をリミは自力でやり遂げようとする。
産褥期の娘を心配して家にやって来た母親を渋々迎え入れはしたものの、撮影の現場にも子どもを連れて行き、ストレスでほとんど母乳が出なくなるほどに追い詰められるが周囲の人間を一切頼ろうとはしない。
毎日ハイブランドを身につけるほど潤沢な資産を持ちながらも育児にまつわるあらゆる苦労を身を削って引き受ける彼女の姿は「育児は母親/女のもの」という呪いを体現している。そして、この呪いは明示的に解かれることがないまま物語は終わる。
ギフトを持った者だけが到達できる、男女逆転ディストピア
ドラマの終盤、リミは以下のようなスピーチをする。
男性を通じてしか社会とは繋がらない女性にはならないでください。精神的にも経済的にも自立した女性であり続けてください
この社会的強者のリベラルフェミニズトのお手本のような提言に反し、彼女たちの成功には男性の影がくっきり浮かんでいる。
先天的な美貌によって成功を掴み、富と美しさで男を意のままに操り、育児を独占する、という女中心のユートピアを築き上げる、ということが「あたらしい時代を切り拓く」ことなのだろうか?
本当にそう思うならその世界の男女を逆転してみるといい。
それは、まさにフェミニズムが切り崩そうとしている家父長的な社会そのものの姿をしているだろう。