売れないライターとして生きている。
WEBで書いたり、雑誌で書いたり、細々つづけているけれど、まあまあ鳴かず飛ばずで、鳴きたいし、飛びたいけど、鳴くのも飛ぶのも、こわい。
ただタイムラインを追うだけでもSNSのちからのすごさはむんむん伝わってきて、タイムラインは日々さまざまなひとびとがさまざまに鳴いて飛んでの大饗宴を繰り広げておる。
そんで、「なんて非の打ちどころがない、すばらしいおはなしなの!」とおもってひらいた投稿でもリプライやコメントではだれかが非を打っているというあんばい(しかもその投稿が人気であるぶんだけ、非も増えていく)で、やっぱりそれはしんどいこと。
鳴いてもねえ、飛んでもねえわたしは、しかしそれらのこわさみたいなものをかくじつに目測できてしまうことが、
つらい。
気がつくと非が打たれないことばかりを考えていて、じぶんのきもち、をうまく書けなくなったのが、ことしに入ってから。
うだうだしてたらしんどい仕事ばっかりになっていた。
しかもそれらが有していたのは、ちょっとずつちょっとずつ堆積するタイプのしんどさで、気がついたらしんどさ温泉ぬるま湯の中。
こりゃ、いかん、いかんのだ、と、ブログをひさびさに書いて、公開する。
瞬間、後悔する。
じりじり時間が経って、つぎはぎの気持ち。
Twitterをみたら一度だけ会ったことのある、一緒にいてここちよいと思えた人や、会社で仲良くなった、少しだけわたしに似ているなと思える友達から、すごく共感している、という旨のリプライが届いていた。
ほっ。
寝て起きて、つぎの日、あんまり話したことのない会社のひとに「ブログ、めちゃイケてました、」っていわれた。
ぽっ。
はたまた、最近なかよくなって書いた小説なんかを見せてくれるともだちに、わたしの彼女の小説の感想や、過去に書いた書評なんかを送りつけたら、今日とってもうれしいお礼のメールをもらった。
ほっぽっぽっ。
これなんだ。これなのだ。
わたしがしっている、わたしをしっている、肉感のある「あなた」・「そなた」・「きみ」がわたしのなかの、知ってほしい部分を、ただしく「知って」、あわよくばなんらかのかたちで「わかる」こと。
これこそが、わたしの承認欲求のすべて。オリンパス。
世界なんかよりもきみに・きみに・きみに響きたいんだよ。