京都タワ〜

27歳一児の母、フリーランスで生きている

フェミばれすんのが怖い私の署名体験記

やること山積み溜まっていて、いくつかの原稿を見ないふりしながら、インターネットで見た「そんな時は全然関係ないブログとかを更新してアウトプットしていこう」的な甘言につられ、むしろ享受するくらいの勢いで適当に書く。

 

私がフェミばれしたくない理由

 

フェミニストって思われんのが怖い。

 

なんやねん唐突に、って思われるかもしれないけれど、ここ数年、特に結婚してからは、頻繁に女性の権利について考えている。でも、周りの人に「アイツ、フェミニストなんやって」って言われんのが怖い。たまんなく、こわい。女性の強姦とか、シングルマザーの貧困とか、毎日のように物申したくなるニュースが積み重なっていくけど、SNSで発信して「自意識過剰」とか「自己憐憫」とか「被害妄想」とか思われたら無理やと思って言わんとく。

 

いやいや、そんな奴おらんやろって思う人はきっといい人。だってそういうの全部全部、今まで私自身が思ってきたことだから。

 

これまでの人生で男コミュニティに属することが多かった。いわゆるヲタサーの姫的なポジ。私の知っている限り、男ばかりで女が付け入る隙がないコミュニティは、大抵ミソジニーっぽい空気を漂わせてる。

「女にはこんなおもろさわからんやろ」「女はこんなにおもろいことできひんやろ」という暗黙の了解がメンバーの結束を強くする、そういうコミュニティで、しかし私は「女の割にはおもろいがわかるやつ」としてそこに存在していた。

 

そして、当然、私は「女の割にはおもろいがわかる」女なことに優越感を持っていたわけで、そんな人間だったから、必死に女性の権利拡大に取り組む人を鼻で笑ってた。

そんでこう思うのだ。

 

フェミニストってなんやねん。男と女に差なんてあるかいな」

 

いや、あんだろ!

 

お母さんとか友達とか、女であるがために不利益を被っている人の意見とか一切無視した最悪のエゴイズムだ。

 

日本の男女格差は社会に出るまで見えづらい

 

しかし、私という人間の先見性のなさや浅はかさを一旦横に置いておくとして、現代の日本社会において、女性が女性の人権のなさに気付くには時間がかかることは割と事実だと思っている。

 

なぜなら社会に出るまで、男女の格差は見えにくいから。

 

日本は先進国の中でジェンダーギャップが大きい国であることはここ数年で広く知られるようになった。

けれど、実は識字率や大学進学率などを含む「教育」や、出生率などを含む「保健」などのジェンダーギャップ指数は世界の中でもトップクラスで良い値を叩き出している。

つまり、育児や教育の場面での男女差はごく少ないのだ(もちろん、女子は文系というステレオタイプによる刷り込みや東京医大の受験生差別問題など格差は存在する)。

その一方で、収入などを指数とした「経済」や議席の女性率などを指数とする「政治」のスコアは著しく低く、社会出て、結婚や妊娠などのライブイベントに直面し、はじめて、男性との格差に気付き愕然とする、ということだって少なくない(間違いなく私はこのパターン!)。

 

社会の中に出てみると、例えば、会社で責任のある立場にある女性の少なさとか、ほとんどの家庭が共働きである保育園の保護者会の出席者がほぼ女性とか、身の回りだけでも歪さの事例はいくらでも目に入る。

 

燦々たる状況を目の当たりにして、「さ、さすがにこれは何かせんとあかんのでは…?」となるも、これまでの言動を振り返ると、「私、フェミニストになりまして〜ん」とかぜったいぜーったい言えない。言えるわけない。

 

コソコソはじめた署名、変わらん本質

 

というわけで隠れフェミニストとして、私がコソコソするようになったのがネットの署名。最近だとSPAの女子大生軽視とか。

 

いつも使っているChange.orgという署名サイトで、先日立ち上がった署名が「裁判官のジェンダー教育及び性犯罪の厳罰化を!」だった。

これは福岡地裁の久留米支部準強姦罪で起訴された男性に無罪判決がおりたことがきっかけで起こったキャンペーンだ。

ちなみにこの事件の判決で、裁判官は、「(被害者女性が)嘔吐して、眠り込んでおり、抵抗できない状態だった」と認定しながらも「女性が許容している、と被告が誤信してしまうような状況にあった」と判断した。つまり、「加害者に性暴力している認識がなかったから」無罪、ということだ。

 

そんなのってありかよ。

 

さすがに怒りを超えて呆れ果て、しかし、幼い娘の小さなつむじを眺めながら「この子にそんなことが起こったらどうしよう」という不安がむくむく成長した。

そして、つるつるとツイッターの検索画面を見ていたら「裁判官のジェンダー教育及び性犯罪の厳罰化を!」の署名を見つけ、署名をした。

 

署名後に表示されるSNSで共有しませんかというポップアップを見て、いつもなら迷わず右上の×マークを押すけれど、その時は押せなかった。

しばらく考えて、でも不安と怒りといろんなものが混ざった気持ちは無視できなくて、私ははじめてツイッターで、署名キャンペーンのことをシェアした。

 

衝動的に、でもすごく自覚的に私はフェミニストとして情報を発信した。

 

次の日、ツイッターを開いたら、キャンペーンをシェアしたツイートにいいねはなく、フォロワーは一人減っていた。

 

いつもは気にならない、なんならそのツイートとなんの因果もないかもしれないフォロー解除に、しかし落ち込んだ。

 

そんな自分を慰めるため、「誰かのためじゃなくて自分のためにしたんやろ」と言い聞かせる。それから、自分のあいも変わらぬエゴイスティックな考え方に呆れて笑った。